鳥羽の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

こんにちは ゲストさん 会員登録 | ログイン

歴史探訪

三重県鳥羽市歴史探訪
鳥羽市の概要
鳥羽市は三重県の東部にある志摩半島の北端に位置する国際観光文化都市です。街はリアス式海岸に沿って形成され、穏やかな気候に恵まれています。東に望む伊勢湾は、かつて朝廷に納められていたほど伊勢えび、牡蠣、ちりめんをはじめとする良質な海産物の宝庫です。現在でも多くの漁師や海女たちが活躍しており、周辺には海上安全、豊漁を祈願する社がたくさんあります。伊勢湾は古くから良港としても知られており、独特の美しさを持った景観を楽しませてくれます。現在では松島・イルカ島・真珠島などの名所を遊覧船で巡り、観光を楽しむこともできます。鳥羽市は相島御木本幸吉により、世界ではじめて真珠の養殖事業に成功した地としても有名です。また、豊かな自然は多くの詩や小説の舞台になっています。

鳥羽のあゆみ

鳥羽市安楽島町の海岸線付近に広がる贄遺跡の約1億3千年前と見られる地層から、国内初となる恐竜の化石が発見されたことにより、鳥羽の地には人類誕生以前に恐竜が生息していたことがわかりました。贄遺跡からは他にも縄文時代から古墳時代にかけての土器や遺構が数多く発見されています。また古来より志摩地方では上質で種類豊富な海の幸が捕れました。そのため、古代にはそれらを天皇の食料として朝廷に献上し、“御食(みけ)つ国”と呼ばれ近畿一円で知られていました。
元々熊野海賊の一派であった志摩九鬼氏の中でも、九鬼嘉隆は九鬼氏を大名まで押し上げた戦国武将として有名です。他の地頭から志摩地方を追われた嘉隆は、永禄11年(1568)に織田信長が大河内城を攻めた際に水軍として参加して以降織田軍に属し、天正2年(1574)の長島の一向一揆討伐、天正6年(1578)の石山本願寺攻めの際には鉄甲船を操り毛利軍に打勝つなどの功績を残しました。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、天正15年(1587)の島津征伐、天正18年(1590)の小田原攻め、朝鮮出兵などで功をあげ5万5千石の大名となり、文禄3年(1594)鳥羽城を築城しました。このように戦国時代の志摩地方は、嘉隆率いる“鳥羽水軍”と共に全国に名を知られていました。
江戸時代になると全国的に商業活動が盛んになり、物資の輸送手段として航路が発達しました。中でも幕府の中心地であり大消費地の江戸と天下の台所大阪を結ぶ航路は“海の東海道”と呼ばれ、多くの廻船が利用しました。この航路の途中に位置する鳥羽港は、日和り待ち・風待ちなどの待機場所に適した港として全国で重要視され、物資輸送の経由地や集散地として賑わいました。しかし周辺には多くの難所があり、寛文13年(1673)に鳥羽藩は菅島村と神島村にそれぞれ御燈明堂・御篝堂を建設し、夜間にはかがり火を焚き、安全に航海できるよう目印としました。
明治6年(1873)に現在使用されている灯台では最古の菅島灯台に初めて火がともり、御燈明堂・御篝堂に代わって夜間航海の目印となりました。明治23年(1890)には御木本幸吉が三重県相島で、世界初となる真珠の養殖に成功しました。これをきっかけに鳥羽は観光都市として発達してきました。風光明媚な景色とミキモト真珠島や鳥羽水族館など鳥羽市内には数多くの観光スポットが存在します。しかし近代化がすすむにつれ環境破壊や過疎化が問題視され、また観光業の伸びにも翳りがみえてきました。これらの問題を解決すべく、話し合いや活動が活発に行われています。

鳥羽市の名前の由来

かつて船の泊場(とば)として、志摩地域の海上交通の重要な地点であったことから、“泊場”が転じて“鳥羽”と呼ばれるようになったとされています。


鳥羽市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
海の博物館
住所: 〒517-0025
三重県鳥羽市浦村町1731-68 [地図を見る]
電話番号: 0599-32-6006
開館時間:

(3月21日〜11月30日)9:00〜17:00
(4月29日〜5月5日、7月20日〜8月25日)8:30〜17:30
(12月1日〜3月20日)9:00〜16:30
※入館は閉館30分前まで

休館日: 6月26日〜6月30日、12月26日〜12月30日
入館料: 大人800円、高・中・小学生400円(20名以上団体割引あり)







特集

ケータイで無料釣りゲーム!

e-まちタウン携帯版で無料釣りゲーム「釣り☆タウン」が遊べる!

改行